hokusyu氏の人権感覚


2010年6月26日

「人間失格」の続きです。
どうやら僕を人間失格認定していたわけではないようですが、別方向にヤバいことを言っています。

NaokiTakahashi:
では、これで合意が取れた、ということでまとめサイトを制作にかかってかまいませんでしょうか。
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法的な人権侵害の批判は、裁判で勝つまで無効である。
高橋直樹が普通に社会生活を送る上で人権の尊重を受けようとすると、 hokusyu氏の枠組みでは、“「法の外」の人権”を主張するしかない。
例えば hit-and-run氏に「法の外」の人権侵害への抗議・謝罪要求を受け入れさせるためには、hit-and-run氏の合意が必要である。

hokusyu:
まあとりあえずそれでokとしておきますが、今予期できない論理の相違があったばあい修正を迫るかもしれません。

NaokiTakahashi:
あ、それとちょっと気になるところが。この「高橋直樹」「hit-and-run」は、他の誰でも構わない一般論ですよね? 僕人間失格じゃないですよね?w

hokusyu:
もちろん一般論ですが。

つまり、hokusyu氏はこういうことを言っている。

法的な人権侵害の批判は、裁判で勝つまで無効である。
件の写真集・動画事件で写された女性達が普通に社会生活を送る上で人権の尊重を受けようとすると、 hokusyu氏の枠組みでは、“「法の外」の人権”を主張するしかない。
例えば、件の写真集を作成し動画をアップした学生に「法の外」の人権侵害への抗議・謝罪要求を受け入れさせるためには、当の学生の合意が必要である。

そして、もちろん社会はそんな仕組みにはなっていないし、僕もそのような考え方をしない。

首都大学東京は24日、YouTubeに人権を侵害する不適切な内容の動画を投稿したとして、動画を作成した学生2人を退学、動画に音楽を提供した大学院生1人を停学1カ月の懲戒処分を行ったと発表した。

退学まで行ったか。件の人権侵害について裁判はまだ行われていないが、「人権を侵害する」とはっきり書いている。

「法的な人権侵害の批判は、裁判で勝つまで無効である」などという考え方をこの大学は採用しなかったということだ。

さて、彼の意見に対して、僕の考えはこうだ。

人権侵害は、裁判をやろうがやるまいが、人権侵害である。裁判で勝つことによって初めて人権侵害となるわけではない。
法律の実際の運用上はそうして後付けで認定されるものであるとしても、人権侵害という問題意識は、法におけるそれと同じものとして、社会生活において最低限共有されるべき公共倫理である(これは、個々の法律の中に問題のあるものもあり、それは批判出来る、という話とは別に、法というものの原則だ)。
従って、法的な人権侵害と、法の外の人権侵害を分ける視点に意味を感じない。それはひとつの問題を解決する過程の、異なるフェーズを見ているに過ぎない。
そして、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と憲法11条にもあるとおり、人間全てに固有で、不可侵で、普遍的な権利として与えられているものであり、ダブスタの差別表現者の卑怯者だから認められない、というようなものではないし、相手が合意しないと行使できないというようなものでもないのだ。
(ところで、彼らが主張するところの僕のダブスタ(二重基準)のほとんどは、ここでSIVAPROD氏がやっているのと同じ錯誤に過ぎないと思うのだが、hokusyu氏から合意を引き出すのに集中していたため、あまり詳細には読んでない。そういう錯誤ではない反論がなにかあるならまた別に教えて欲しい。反論するので)

その上で、実際に裁判を起こすまでもない問題を対話/社会的な合意で解決しようという試みはあってしかるべきだろう。
これは法という共通基盤の確かさを前提にしたその上で諮られるべき解決策だ。法に優先するものではない。
そのことについて加害者の合意が取れようが取れまいが、もし人権侵害であるのなら人権侵害と批判されていいのだ、もちろん。
(もちろん、加害者とされた側にも反論する自由はあるだろうが)。

その上で言うが、裁判に掛かっていない批判に残念ながら強制力はない。
僕がhit-and-run氏にした批判は「道義的批判」にとどまる。彼に受け入れてもらうためには、合意が必要だ、というところは、これは正しい。
(ただ、結局突っぱねられたのだとしても、そこに至るまでに彼らがどんなことを言っていたかで、彼らの人権感覚が浮き彫りになったとは思う)
この大学だって、彼らを合意なく処刑したわけではない。それではリンチになってしまう。
調べてはいないが、常識的に考えてこの大学には学則があり、その学則には、人権を侵害するような行為をしたものには処分が下る旨、何か記載があるだろう。学生はそこに合意の上で入学しているだろうし、嫌なら退学する自由も保障されているはずだ。

俺の場合、リバタリアニズムを信奉するのは、自治への信頼ではなく権力への不信が根幹にあるんだよね。だから、市民的自治にだって不信を抱いている。

法によらない市民的自治が機能してもいいとは思うけど、それは構成員が合意の元に参加し、自由に離脱出来るようなコミュニティである場合に限る。相手の意志によらず押しつけていいのは法だけだ。都会という逃げ場があるからムラが許されうる。例えば各種自主規制団体のようなものは、形式でいえばそういうものを目指しているのだろう(実態は業界によっていろいろだけども)。自治と言えば、まあそれが自治だ。

僕は自治を否定していない。法を、基本的人権の尊重をその上に置け、と言っているだけである。だからダーティーハリーのようなアウトローなリンチ警官、自警主義は否定されるのだ。
この大学で彼らが処分を受けたことは、この原則をきちんと満たしているので問題ない、と俺は思う。